義務感・唾を吐くように

やってきた。この気分だ。

日記を書かなくちゃ、という始めたことが義務になっていくこの気分。

毎日やろうと気負ってしまうから義務感が出てきて苦しくなるのだろうと思う。いつもこの気分が発生してから3日くらいは義務感に耐えてやるのだけれど、我慢できなくなったり、幸か不幸かなんかしら用事ができてその日いちにち、やろうと思っていたことに手を出せなかった日がやってきたりして、ぱったりやめてしまい、すると何ヶ月何年も放置されることになる。

この日記を読んでいる人はどうやら本当にゼロのようだが、例え読者がたくさんいたって、義務感と逃避は律儀にわたしを苦しめる。

誰もわたしにやることを強制できない。自分で手綱を握るしかない。

なんですぐこんなふうに思いつめてしまうんだ。ほんとうにバカバカしい。いくら自分はダメなどとこき下ろしたって、屁の突っ張りにもならん。

 

昨日の夜、夫がシイタケのホダ木に刺激を与えたら、すこしだけ生えてきた。どうも菌糸が寝ていたようだ。

刺激とは、ホダ木を地面に叩きつけることである。

穏当にいくなら電気でも流せばいいのかもしれないが、一番手っ取り早いのはホダ木を両手で持って、地面に振り下ろす。これである。

わたしも乱暴に刺激を与えられたら、なにか生えてくるのではないか。

そういえば10年も前にプライベートプレスと称して本作りを始めたときも、かなり刺激の強い出来事があって、これではもうわたしは生きていかれないかもしれないと思ったのが駆動力になったのだった。その焦燥感だって3年もすればすっかり萎み、環境もよくなって、するとケロッと甘えん坊に戻ってなにも作らなくなった。

賃金労働をする必要もなく、時間もたくさんあるのなら、ほんとうに理想的な環境じゃないか、わたしだったらやりたいことがたくさんある! と多くの人は言うだろう。よく言われてきた。

そううまくいってなくてほんとうに情けない。

 

わたしはなんか気に食わないなという人が集団にいて、その人の声が集団の中でどんどん大きくなり、影響力を持つようになってくると、心底嫌気がさして、集団からさっと抜けてしまうのだが、ほんとうにそのジャンルのことがやりたいなら、まがりなりにも入れてもらえた集団に意地でもしがみついて媚びてたほうがいい目が見られるんだろうか。

バカバカしい。

今日は苛立っている。