反復横跳びオンライン・閑散好き

なにもかもめんどくせえなという気持ちで半月過ごした。自分だけのための手書きの日記をかわりにつけていて、なにもかもめんどくせえと言っているわりには映画を観たり美術館に出かけたりしており、読み返すと楽しそうな毎日である。

この手書きの日記は2018年から使っている10年日記で、一日に書ける量はA5に横書きで四行ほど。しかし2020年4月に引っ越してからはあまり書けなくなっていた。3Kのアパートではいつも目の前にあった日記帳が、広い家では目に入らず一日が終わる時もある。2021年は思い出したように一日、二日と書いてまた何ヶ月も空欄というのを繰り返していた。もうやめてしまうかと思いきや、2022年になって正月テンション(一年の初めだがんばるぞーってやつ)で元日から今日まで1日も欠かさず埋め、等価交換なのか、はてなブログのほうに急に手が伸びなくなってしまった。それどころか、パソコンもYouTubeでラジオ体操を見るとき以外に起動していない。スマホでもまずSNSを見る気が起きない。つまり、なにもかもめんどうくせえなというのはオンラインに対しての感情であったようだ。わたしの場合は、オンラインでとつぜん姿を消しても多くの人に気づかれないし、わざわざ連絡をよこす人のほうが珍しいし、仕事もしがらみもオンラインにないので、その点気楽だ。この気楽さが好きだが、これを失いたくないあまりにオンラインでの人間関係を薄めに薄めてしまっている気もする。オンラインで「気楽でいいや」と「寂しいよお」の反復横跳びをしているようなものだ。疲れたのでそろそろ真ん中あたりで静止したい。

 

先週のことだが、ひさしぶりに混んでいる展覧会に行ったら、帰ってきてから頭痛がしはじめ、翌日は一日中、頭痛と肩こりで辛かった。人の多い展覧会は苦手だったと思い出す。それでもコロナ禍前は、列に並んでひとつずつ観ていくしかないほど人がいる展覧会もけっこうあったよなあ、と懐かしい。たくさんの人間に囲まれ、観るペースも自然と決まっていて、自由にみじろぎもできないと、全身に力が入ってしまうようで、翌日は全身倦怠感と筋肉痛で苦しんだものだった。

今週は砂浜に面して建つ美術館に出かけた。平日だったし、美術館の前の砂浜は人がまばらで、波も気温も穏やか、展示よりも海の様子のほうが印象に残ってしまった。静かな砂浜は好きだ。先月も熱海に行って海の近くでアートを見たので、二ヶ月連続で海と芸術の組み合わせを味わっていることになる。

 

日記を書きたいなと思って書き始めたはずなのに、筆がのらぬまま、ここまででもう一時間半かかっている。なんだか嫌になってきた。

今日あったことも書くつもりでいたが、キーボードを打つのに飽きてきたのでやめにする。

金継ぎ、乾かない漆

金継ぎを始めた。割れた陶磁器を漆でくっつけ、金で化粧して、割れたところをわざと目立たせるようにつくろう、趣ある修繕方法だ。

したいと思ったのは五年以上前、麺用のどんぶりの縁を小さく削ぐように欠けさせてしまったとき。夫と暮らし始めた当初はお互いの家から持ち寄った、いわば貰いものの食器がほとんどを占めていて、そんななか麺用のどんぶりは初めて、この食器欲しいと思って自分で買ったものだったので、縁が欠けたくらいで捨てる気にはなれなかった。それからさまざまな食器が割れた。豆皿、レンゲ、木のおわん、コーヒーのドリップ。それらを買い替えずとっておいて、いつか金継ぎをするんだ……と思いながらはや五年が経ってしまった。ようやく重い腰をあげられたのである。

 

レンゲやコーヒーのドリップ(の取っ手)は難易度が高いようなので、まずは比較的きれいに割れている豆皿とおわん、縁が欠けただけの麺用どんぶりをやってみることにした。テキストは堀道広 著「おうちでできる おおらか金継ぎ」。

道具は去年末からちまちま買って揃えた。初心者向け金継ぎセットというコンパクトにまとまったものがよく売っているのだが、それはよした。「おおらか金継ぎ」を読んで必要な道具をリストアップし、ホームセンターにもあるというので探したところ、わたしがよく行くホームセンターにはなくって、しょうがないのでアームカバー、デザインナイフ、プラスチックヘラ、筆といった、金継ぎで使うけれど金継ぎ特有の材料・道具というわけではないものだけそこで調達し、その後セットというものがあるんだなあと気づいたのだが、かぶる道具が出てくることが予想され、それもなんだか鬱陶しいから、もうひとつずつ買ってっちゃお!と思ったのだった。

 

では始めましょう。

1)割れた面の角をやすり、漆を薄く塗る。ここで一日乾かす。

2)欠片同士を、強力粉と漆を混ぜたもの(麦漆という)でくっつけ、また一週間から十日かけて乾かす。縁のかけているものは、麦漆にさらに木の粉を混ぜてパテ状にしたもの(刻そ漆という。「そ」の漢字が出ない)を押し込み、それも同じくらいかけて乾かす。

 

とにかく乾かす時間が長い。

漆を乾かす箱を「漆風呂」といい、段ボール箱で代用できるが、湿度は高くしておかなくてはならない。70〜80%くらいがよいそう。温度は20度くらい。我が家には室温22度の部屋があり、そこはずっとエアコンがつけっぱなしになっていて、同時にかなり乾燥もしている。熱帯に生息するトカゲを飼っている部屋なので、その気温・湿度がちょうどいいのである。温度としてはその部屋に置くのが望ましいが、湿度のほうは保つのが大変だ。中を濡らしまくって濡れ布巾も入れているものの、寝ている間にそれらはカッサカサに乾いてしまう。そのせいで漆はなかなか乾かない。もしかして金継ぎというのは梅雨の時期にやるのが労なしなのだろうか。あるいは夜のあいだはお湯を張った浴槽の上に乗せておくとか。でもわたしは毎日は浴槽に浸からないんだよ。乾かしのところですでにつまづいているが、ちゃんとできあがりますように……。

おうちでできるとうたっているだけあり、本はとてもわかりやすいし代用品や細かなコツも書いてくれていてありがたい。伝統工芸だけあって、ネットでちょっと調べただけでもやり方や材料の名称の細かな違いがいろいろあり、奥が深いのだろう。

そういえば「おおらか金継ぎ」の著者の堀道広さんは、割れた鳩サブレーを金継ぎしていなかったか。そういうアイディア金継ぎ、あそび金継ぎみたいなのもできるようになったら楽しそうと思う。

 

ひさしぶりの制作日誌がとつぜんの金継ぎで、自分でもとっ散らかっているなと思っているが、そのうち製本の制作日誌も再開したい。去年の11月に四日間しか書いていないのだから、再開したいっていうほど長く続けたわけじゃないが。

専門性のある制作を続けたいと思いながらまた気が散ってしまった、というひっかかりがある。こういう遊民的制作をわたしはずっとやっていくのだろうか。なにかまとまった成果を作りたいものだ。

 

寒疲れ・カフェにて

数日前、ライブに行って気づいたのだが、やはり住んでいるこの地域は、東京よりぐっと寒い。もちろん温度が低いことは知っていたが、深夜の時間帯に外にいることがほとんどなかったので、体感として知ったのはライブ帰りに深夜バスを待っていたときであった。東京に住んでいたとき、いやぁ東京では寒い寒い雪だ雪だとかいくら言っても電車の中とか馬鹿みたいに暑いし、ダウンコートやらヒートテックやら着てるとのぼせちゃわない?と周りを嘲笑していたものだが、彼らはわたしが今住んでいる地域あたりから出てきていたのかもしれない。これだけ寒ければ、ダウンか毛皮かを着ていないと夜と早朝には凍える。

ここ数ヶ月のラジオ体操継続効果によるものなのか、ライブで二時間立ちっぱなしでも、たいして疲れた気はしていなくて意気揚々と帰りの電車には乗れたのだけれど、バスを待っている十五分の寒さで全身に力が入ってしまい、それだけで疲れ果てた。寒さは体力を奪う。帰ってすぐレンチンして食べた肉まんのおいしさといったら。

次の秋には暖かくて軽いコートを買おうと決めた。ダウンコートの一般的なシルエットがあまり好きでないので、ものすごく探し回る予感がする。

 

友人と新年初めて会う。うちの近くの、このへんでは群を抜いてオシャレなカフェで、キャロットケーキを食べた。皿が額縁みたいで美しい。たとえこの麗しい皿を買い、ケーキはテイクアウトしたとしても、こういうカフェでお茶をする優雅な気持ちには、家ではなれない。場の力と、給仕してもらっているという体験が重要なのである。

しかしこのカフェの店長だかオーナーだかの人、来店した客に必ず「えーっ忙しいのにまた来たー」って表情をする癖がある。おしゃれで美味しいカフェなので結構な率で満席で、忙しいのもよくわかるが、いらっしゃいませって言うときくらいその感情、しまっておいてほしい。ただのわたしの邪推で、もともとそういう顔なのかもしれないが……。

友人がお年賀、と言ってフィナンシェをひとつくれた。なんだか大人っぽくて素敵だった。帰省した地元のお土産とかいうわけでもなく、通っている病院の近くのケーキ屋さんのフィナンシェらしい。そういうところも肩肘張っていなくてすばらしい。わたしは他人にどんな小さいものでも、不意のプレゼントをするというのが苦手なので、こういう高度なさりげなさのあるプレゼントをもらうと感動してしまう。メモっとこメモっとこ。

電車で読書・街のロープウェイ・ライブのあやふやした感想

横浜のほうまで出向く。準備体操としてラジオ体操もやっておく。晴れて風が強い。

電車の中でユーディット・シャランスキー著 細井直子訳「失われたいくつかの物の目録」を読む。世界から失われたものに関する短編が集められていて、とても濃厚でなかなか読み進まない。落ち目になった女優の話(「青衣の少年」)が苦しくてたまらなかった。「彼女は自分のいちばん脂の乗った時期を空費した。」ううう、刺さる。これは勝手に自分に重ねているからだ。わたしは女優でもないし、そもそも脂が乗ってた時期なんてあったか? ない。全体的になにも乗らず、乗れきらずという感じだよ。と結論して苦しむのはやめた。

そのうち眠たくなって、いつのまにか頭が前に落ちていた。電車で本を読むと十中八九寝てしまう。尻が熱いのも不快だ。

 

桜木町駅(横浜の近接駅)に着くと、改札を出てすぐ、ロープウェイの乗り場がある。ロープウェイは山にあるものと思っていたので、すぐ海の、どこを見ても平地のこの場所にあるのは不思議な光景だ。しかもわたしは今の今までロープーウェイだと思っていたしそう発音していた。伸ばし棒が一本多かった。ロープのウェイ、縄道です。

ロープウェイは横浜の街を楽に観光できるという趣向らしい。たしかに桜木町駅前って、かなり太い車道が林立する現代的なビルを縦横に区切っているような街で、道を歩くのが楽しいという感じでもないから、上空から眺め渡したほうが気分がいいのかもしれない。べつに観光に来たわけではないのでロープウェイには乗らない。

 

今日はPerfumeのライブだ。

わたしはライブに一人で行く。まれに連れて行ってくれと言い出す人に出会い、何度かご一緒したこともあるが、ひとりでもふたりでもライブの楽しさは特に変わらなかったし、観終わったあとに感想戦をするタイプでも布教に励むタイプでもなく、よかったねえ、あの曲をやってくれて嬉しかったねえ、以上、解散!となるだけなので、わざわざ二人以上で行かずともと思う。そのライブのBlu-rayなどが出て、じっくり鑑賞したあと、あそこの演出がとか誰々のあの瞬間がとか話したいことが出てくるので、同じファンとカラオケボックスでのBlu-ray鑑賞会はやってみたい気がする。ともあれ、ライブ中は、なにがなにやらわからんがすごーい!きゃっきゃ!と飛んだり跳ねたりしているだけなので、意識がはっきりしていないも同然なのである。じっと観ている場面もあるにはあるのだが、のぼせたような気分で、集中しているというより、夢から自分の意思で出られないように、そこに釘付けにされて酩酊している感じだ。

 

今回のライブは客席をアリーナに作れないことを逆手にとった舞台だった。もしコロナが完全に収束したら、あの演出ではやらないしやれないだろう。Perfumeは新しいことも少しずつ取り入れ、変えないところと変えるところの選択眼とタイミングがすばらしいなといつも思う。えーっ、マジで⁉︎って思わせながら、いつものアレも残してくれる。

そして今回特有の舞台演出のせいなのか全体が今までないくらいにくっきり見え、自分の目が高精細のカメラになったような心地がしてすごかった。

アレとかソレとか歯切れが悪いが、まだ日程が残っていて、そのあいだは個別具体的なネタバレはワールドワイドウェブに流さないことというのがPerfumeライブの掟なので、こうなっている。

 

そういえば完全電子チケットだったのだけど、スマホQRコードを表示しながら顔の横にかかげ、用意されたデバイスiPadかな)に顔とQRコードを写す、という入場のしかたで、たぶん体温測定とチケットチェックを同時にやっているのだろう。ちょっとおもしろい光景だった。

 

帰りの電車は足元が寒い。

 

溶かす善行・洗濯機との和解

昨日のこと、家の前の道路は陽当たりが悪く、アイスバーンになったままで、いつか車が我が家につっこんでくるのではないかと恐ろしくなったため、いまさらかとは思いつつ、融雪剤を買いに行く。

完全に凍っちゃったあとではなく、雪をかいてすぐに翌朝凍らないよう撒いておくものと思っていたが、氷の上から撒いてもすぐに溶け出し、嬉しくなって二度撒いた。半日ですべて溶けて、今朝見てみるとただの水シミになっており、これでスリップに怯える運転手を幾人か救ったであろうと我が善行に満足した。また雪が降ったら前もって撒いておこう。

 

隣室で床に座っていると、尻にまで感じる振動を発生させる我が家のF◯ckin' 洗濯機による揺れを少しでも軽減しようと、新しく買った台座や免振ゴムを下に敷いた。敷いたと三文字で書けるがたいへんな苦労の末の「敷いた」である。あーなんとかかんとか敷けましたやれやれ、くらいの「敷いた」である。

まず洗濯機は車輪つきの台(枠状)に乗っていたので、いったん持ち上げ、持ちあがってる隙に車輪つき台をどかしておろさなくてはならない。そして新しい台座(四本の足ひとつずつに敷く形式)を洗濯機がもとあった場所に据えつけ、乗せなおす。

ドラム式洗濯機というものは縦型洗濯機よりだんぜん重いのである。100kgはある。ところがうちは二人家族、猫もトカゲも重いものを持つのには向いていないし、すぐ来てくれるような友人も思いあたらない。夫が二人ならば持ち上げられるだろうが(洗濯機を運んでくれたのも筋力のありそうな二人だった)、わたしは重量をあげるとすぐ腰を痛める。たぶん身体の使い方が下手なのだろう。

そこでAmazonで買ったのが、肩と荷物の下に巻いて持ち上げるベルトである。これで人によるが、二人で200kgまでいけるという。半信半疑ながら、たしかに腰への負担は軽減できそうだし、とりあえず試してみることになった。

夫はたしかに楽ちん!と感動していたが、さすがのベルトも身体の使い方の下手さまではカバーできないらしく、洗濯機をはさんでこちら側のわたしにはどうもうまく持ち上がらない。ふんばるが、腰に怪しい伸張を感じて諦めるのを数回くりかえした。膝を曲げて、胸ははって、すこし後ろに反るような気持ちで立つんだ!と指導してくれるのだけど、どうしても背中は丸まり、膝が洗濯機に当たってまっすぐ上に立てず、腰にばかり重量がかかってしまう。エア持ち上げで動きのリハーサルをし、夫が筋トレでバーベルを上げるときに使っている腰を補助する用の皮のベルトを巻き、荷物上げ用ベルトの長さも調節し、ようやく持ちあがった。どうがんばってもわたしでは手で持ってなんとかなるような重さではないので、ベルトは買って正解であった。

持ち上げられたら、車輪つきの台をそのまま足で蹴って、脱衣所の空いているスペースに滑らせ、下が空いたら洗濯機は一旦おろす、という作戦であった。ところが持ち上げるので精一杯だったわたしは、台の車輪ふたつの間に片足を置いてしまっており、台を蹴ったとたん車輪に爪先を打撃されて悶絶した。一瞬、洗濯機を足の上に落としたのかとひやりとした。爪先骨折救急車……とリズミカルに単語を思い浮かべてしまう。顔に血が上り、足をFu◯kin' 洗濯機に押しつぶされる恐怖で力がうまく入らなくなってよろめき、踏んばって静止だけはしたが、洗濯機のほうは傾いて端っこが台に引っかかっているようだ。

しかし夫は余裕があったようで、わたしが力を抜いても平気だった。自分の足を避け、洗濯機をあらためて少し上げ、なんとか台をどけられた。爪先も落ちついて見ればそんなにひどい打撲ではない。すでに痛くないし、腫れそうでもない。

そのあとは夫が洗濯機を傾けて片側の足だけを浮かせているあいだにわたしが毛布を滑り込ませ、押して所定の位置に移動、おなじように一足ずつ免振ゴムと台座を入れていって、整えた。

さて、肝心の揺れはどうかというと、ずいぶん軽減されて万々歳である。これまでは木造家屋自体の骨組みが、洗濯機の振動でだんだんイカれるのではという不安にかられるほどだったが、今はこれくらいなら大丈夫そうと思える。家へのダメージに怯えて洗濯を一週間保留にしていたため、洗濯物はさんざん溜まっている。下着を換えられない危機に瀕しており、瀬戸際での持ちなおしであった。

洗濯機との和解はわずかに進んだといえよう。

 

楽への道

さあ、PMSを楽にしてもらうぞ!と意気込んで婦人科へ行く。

前日に雪が積もったので、道はところどころが凍り、特に無人、あるいは老人しか住んでいない家の前の道路は雪かきをする人がいないため、てきめんにツルツルである。ペンギンのように足の裏全体を一度に地面につけて歩くと滑らないと聞いたので実践するが、すこし気を抜くとすぐ危ない感じになってしまう。持っている靴の中でいちばん靴底が凸凹しているものを選んだのだが、やはり甘いらしい。

 

初めて行く病院なので緊張する。11月下旬に予約したのに年明けしか空いていなかったので人気の病院なのだろう。それゆえ勝手にきれいなところを想像していたが、着いたのはかなり古い雑居ビルであった。エレベーターも古く、軋む音が大きい。病院内は古さを消そうと化粧パネルで床、壁、天井を覆っているのがわかる。パネルが安すぎるせいか、足音が妙にひびく。

医者はわたしが書いた受診理由を一瞥し、漢方か低容量ピルか月経前だけうつに使う薬を摂取するかの選択肢があるという。PMSにうつの薬ははじめて聞いたが、アメリカではよく処方されているらしい。しかしピル出してくれるんだろうなという心算で来たので、まあとりあえずピルで…ということにした。

子宮や卵巣もエコーで診ておきます、とのことであの独特な検査台に座らせられることになった。下半身はぜんぶ脱がざるをえない。タオルを膝にかけて待つが、医者が次の診察が長引いていてすぐ来ないのでお待ちくださいとアナウンスされる。まじか、こっちはすでに上はフル装備なのに下はなにも着ていないっていうサイテーな格好なんだぞ。検査台は腰かけておくには座面の奥行きが狭すぎて落ち着かないし。今までいったことのある婦人科ではこの検査のとき、検査室のカーテン(あるいは扉)のすぐそばで医者はスタンバイしており、患者が検査台に座るや否や躍り出て、なるべく手短に済まそうという意志が感じられたものである。これは看護師と医者の連携プレイなのであろう。もうちょっとタイミングを揃えられるよう、練習してほしい。

患者のわたしはなにもできず、しょうがないので下半身をスースーさせながら手近にあるエコーの機械を観察した。あまりまじまじとは見たことのないものである。エコーの押し当てる部分は細長く、体の内側から子宮などを映せるようになっているが、それに薄いゴム手袋の指一本だけがかぶせてあり、既にジェルが塗られている。なるほど、直接内臓にエコーの先端を触れさせないようにするためであろうが、専用のゴムサックみたいなものはないのだろうか。これがスタンダードで、どこの病院でもこういうふうにしているのであろうか。

面食らっているうちに医者がやってきて、検査はあっけなく終わった。それにしてもあの検査台は何度乗ってもすっとこどっこいな気がして、病院で検査しているという真面目な状況とのギャップに戸惑う。

婦人科の検査機械はどうも患者への尊厳が足りないように思われる。マンモグラフィだって、あれはなんと乳房を押し潰して撮るのである。わたしは乳が小さいせいか、とんでもなく痛い。麻酔をしないのが不思議なくらいだ。検査中は最大限に眉根が寄って、検査技師にはごめんね、頑張って!と応援されてしまう。ふたつも乳があることを恨んだのはあのときが初めてであり、三つ以上乳のある体でなくてよかったと思ったのも初めてであった。中世の人が見たら拷問されているようにしか思えないであろう。そうしないと患部が映らないんだからしょうがないでしょうといわれそうな気がするが、あれは男性(か乳が大きくてまったく痛くない人)が、やったーこれで見える! えっ、痛い? 見えるんだからちょっとぐらいの苦痛は知らん!と作ったに違いないと踏んでいる。

ともあれ、検査に異常はなく、低容量ピルはぶじ処方された。

最大の誤算は、ピルは月経が始まり三、四日目で飲み始めるものであるため、効果が出るのは来月から、今月もPMSとよろしくやらなくてはならないことである。

カエルチョコ・雪をなめるな

クリスマスにもらったカエルチョコを尻からすこしずつかじっている。いま1/3が過ぎたといったところだ。カエルチョコとはハリー・ポッターに出てくる魔法界のお菓子で、物語の中では箱を開けたとたん生きたカエルのごとく逃げてしまったりするが、わたしがもらったのは残念ながらマグル界の模造品、カエルをかたどっただけのチョコレートの塊である。しかもこれは型の関係でそうならざるをえなかったのだと思うが、カエルの顎がペリカンのように膨らんで角張っている。つまり製造でのカエル型はカップ状で、正姿勢からひっくり返してチョコレートを注ぎ、チョコレートの底面は平らになるというわけである。魔法もへったくれもない。マグルにはこれくらいで十分だろうという魔法使いたちの差別意識を感じる。実際、ハリー・ポッターの魔法界はマグル界を差別的に観察しているふしがあり、良心的な魔法使いはマグルとの混血を歓迎するものの、平時の言葉の節々に「マグルはなんにも知らない」「マグルのやっていることは面白くない」という態度が出てしまっている人がいるし、マグルに興味があるという魔法使いも、いわば昔の、ヨーロッパ的視線で研究する「未開の部族」に関する民俗学をやっているような姿勢なのである。

そういうわけで、マグルに与えられる模造カエルチョコは魔法界カエルチョコには遠く及ばず、しかし質がいまいちなら量でなんとかしようというつもりなのか、映画で見たのよりかなり大きい。わたしの拳大はある。顎は分厚過ぎて、これに歯を立てたら前歯が折れるだろうと思い、薄めの尻からかじっていくことにしたのだ。カエルは尻、後ろ足、下腹と、なまくらな歯でじわじわと削られ、醜い歯型をつけられているのに、ファニーな顎で動く気配もない。

 

今日は一日中家にいたので、雪が降るのをのんきに眺めていられた。この家で積雪を経験するのは初めてだ。去年はかなり寒くなって給湯器が凍り、びっくりしたが、雪は降らなかった。あるいはみぞれくらいでまったく積もらなかったのかも。

猫も雪が降っているのを見るのは初めてだろう。しかし、特に興味はないようだった。うっすら積もってやみ、夜になって外がぼんやり明るい感じがすると、長い時間、窓から外を眺めていたので、積もっている街の様子は不思議だったのかもしれない。

夫は出勤しており、いつもと同じように自転車で駅まで行ってしまったので、帰りは自転車は置いてバスにしたほうがいいよとLINEをしたのだが、駅前はここと様子が違っていてぜんぜん積もっていないように見えたらしく、自転車で帰ってきてしまい、走っている途中で周囲が雪景色になっていったためやばいと焦ったところでまんまと滑って転んだという。そんなに高低差があるわけでもないのに、どうもこの辺りは駅前よりすこし寒いし雪もよく積もるようである。車通りのあるところを走ってくるので、打ち身だけで済んでほんとうによかった。

そういえば近所のスーパーは雑貨はそんなに置いていないのに雪かき用スコップだけは売っていたし、凍結防止剤を家の前に撒いているおうちもあるようだ。わたしたちは雪国で暮らしたことがなく、この家に越してくるまで東京で賃貸暮らし、雪かきもまともにしたことがない。雪への心構えが甘いのだろう。しかし持ち家だったら、少なくとも自分の家の前あたりは雪をかいておかねば、翌日の朝、家の前が事故現場にもなりかねない。とりあえずちりとりで家のアプローチと前の道路だけはかいた。明日、誰も家の前で転んだり怪我したりしませんように。