外す・脱毛・あこがれ

Twitterで地味に嫌いだなあと思っていたひとのフォローを外したら、だいぶ気持ちのいいタイムラインになった。

相互フォローだし、たまに反応してくれたりもするんだよな、と思って我慢してしまっていた。「たまに反応してくれる≒わたしを好いてくれている」ということはわたしもこの人が好きなはず!という考えかたは間違っていたとようやく気づいたのだ。

そしてそういうアカウントが実はたくさんあったことにも……。

嫌いなら嫌いでいいじゃないか、わたしと直接の関係がないときでも日頃のこいつの言動が癇に障るんだ、その感情にいいも悪いもあるか? その人に喧嘩を売りにいったりエアリプしたりして無駄に傷つけるわけでもなし、フォロー外すくらい許してくれ!

 

今日は銀座に出た。

わざわざ銀座で数年前から脱毛をしている。銀座は美容皮膚科や脱毛サロンが多い。わたしが行っていたところはあるビルの2階だが、同じビルの違う階に脱毛サロンがもう一軒入っている。

以前は銀座に定期的な用事があって、そのついでに毛根を焼いてもらっていたのだけど、途中で引っ越してしまったため、遠い面倒くさいと言いながらなんとか通っていた。なぜなら、初めに一括で脱毛費を払ってしまい、キャンセルしても返金されない仕組みだからだ。

しかしそれも今日で最後。(脇の)毛根は全員亡きものとなった。

それにしても発毛サイクルのせいで全員逝くまで数年かけて焼いていかないといけないのだから、気の長い話だ。焼かれていくうちに毛根のちからが弱くなり、生えても圧倒的なヒョロ毛になっていく彼らを数年見守ったが、ちょっと寂しかった。

おつかれさまです、どうぞ安らかに。

 

ggg葛西薫「NOSTALGIA」を観る。

作為を極限まで隠すぞという感じ、あこがれ真似してプライベートプレスを作ったこともあったけど、うまくいかなかった。

文字組みや余白をギリギリ間抜けに見せるか見せないかみたいなバランスはかなり難しく、フォントへの手のかけかたも真似できなかったし、印刷にお金をかけられなかったり、製本が素人臭かったりしたので、残念ながらわたしの作ったものは単なる「デザインのできないひとが装飾もぜんぶ避けて作ったやつ」にしか見えなかった。

あこがれてたひよっこのうちに、勉強として一度、完全なコピーを作ってみればよかったな。中途半端に真似しようとしないで。

今からでもやれば?

という声が聞こえてくるのを、わたしはいつも黙殺している気がする。ちゃんと耳を傾けて行動していたら、今こんなところでいじけていたりはしなかったかもしれない。そういう考えかたも「やればできるかもしれない自分」をまだ捨てられていない証拠だね、と嘲笑が虚無から湧く。