例えとしての店・額装・暇

すこし調子がでてきた。生活をしていて「この日記に書こう」と思うことが増えてきたのだ。

 

いま読んでいる小説は、金持ちの中年が道楽でやっている古道具屋の店番を、なんとなく引き受けてのんべんだらりと生きているひとが主人公なのだが、この人はなんだかんだ言って毎日店を開けて同じ時間に閉め、ちゃんと客を待つということができるのだから、店をやる素養があると思った。

まったく客が来ない、商売としては成り立っていない、と言いながらも辞めてしまったり、新しいことに無闇に手を出したりはしない。店の掃除をし、古道具を店に出せるよう整え、客を待っている。

わたしも「本日開店しました」という気持ちで毎日机の前に座って、なにか作ったりものを書いたりしたい。店先を手入れし、自分の作ったものを陳列して、膿まずに客を待ちたい。

実際に店舗を持っているわけではないので、ここで言っている店とは「小説を載せたサイト」とか「制作した本に値段をつけて並べたECサイト」とかのことだ。

今のわたしの店は、照明もついていない、店先に埃が積もっている、なに屋なのか一見してわからず、店番のいる気配もないのに入口だけは開いている(いやもしかしたら入口すら裏にしか開いていないように見えているのかも)、めちゃくちゃ入りにくい商店街の外れの店、といった感じだろう。店主は店に立たないばかりか無計画に放蕩していて、奇妙とも質が低いとも言えそうな品を唐突に仕入れては、店先の薄暗がりに転がしている。せめてきちんと並べればいいのに、なにか理由があるのかわざとわかりにくく置いているくせして、誰も来ない、もうやめようかなどとぼやく。なぜわかりやすいひとを真似しないのですかと聞いても、口の中で呟いているばかりで、はかばかしい答えは返ってこない。

こう書いているとわたしが選ばれない、顧みてもらいにくいのもさもありなんとしか思えない。こういう奴は不気味だし、近づくのすらはばかられる。少なくともわざとわかりにくくしているようにしか見えないのだから、なるべく触れないようにしておいてほしいのだろうと判断されても当然だと思う。

開店している場所は変えられないにしても、明かりをつけ、店先は掃いて、道から見えやすいところに品物を並べる必要がある。目立つところへわざわざ出ていって宣伝広告に精を出さなくたって、開いていますよ、どうぞお入りください、お気に召したらご購入ください、と道をゆくひとに呼びかけるくらいはしてもいいだろうし、こちらから客を選べるような吸引力はさすがにないのだから、まずは誰が来てもいらっしゃいませと迎えるのが順当だ。

なにから整えていくか、呆然と眺めているだけでは始まらないぞ。

 

額のマットを切るのが面倒くさくてずいぶん放置していたポスターを、ようやくちゃんと額装した。ポスターはキリッとして、裸で壁に貼りつけているよりいい絵に見える。

額のマットとは額縁と絵の間に挟む、緩衝的な余白の紙のことで、あれはよく見ると絵とマットの境目部分(つまり窓の内側)はマット側の厚みが斜め45度に切られている。その45度に切る用の特殊なカッターがあり、将来そんなにたくさん額装するか? と思うが、絵に合わせたマットだけ買いに行くのも手間なので、ついカッターのほうを買ってしまった。しかしマットを切って作るのもそれはそれで面倒くさくなっていたのだった。

似たような話を数日前にもここに書いたが、ほんとうにわたしには、やろうと思って用意しているけどやっていない/中断していることが多いのだ。

それらへの気がかりに精神のリソースが四割くらいは使われているように思う。

しかしやろうと思ったことはすぐに手を出しやり切る、などという生き方をしていたら、重要なこともつまらないこともすべて同じくらいの優先度になり、かえって混乱してしまうのではないか。あるいは用意や準備の多い事柄はどんなに重要であってもどんどん後回しにならざるを得ず、結果的に今すぐ手元でできる小さなことだけに忙殺されて、あっという間に儚くなってしまうのではないか。

ただ今までの経験では、わたしが後回しにしている数多のことをようやく済ませた後には「ああ、早くやっておけばよかったなあ」という気分になる。これは今やらなくてもよかった、もうちょっと放置でよかったと後悔したことはない。

どれからやったらいいかしらんなどと呑気に考えていられるのは暇だからかもしれない。

世のみなさんは緊急なあれこれにふりまわされ、眼前に突きつけられた問題への即応に忙しく、選択の猶予すら与えられず、きりもみ回転しているのでしょう。

いや、わたしだって暇じゃないんだ。

暇じゃないんだ、という顔をいつも装っている。

お仕事をたくさん依頼されるとか、なにかに欠かせない存在として引っ張りだこになるとかで、ほんとうに暇じゃなくなる日を夢見ている。とにかく忙しくなれればなんでもいいと思っているわけでもないが。

なんと煮え切らず鬱陶しいやつだろうとお思いになるかと存じますが、実際は暇ですし、暇じゃないんだと断ったりしませんので、どうぞあらゆることにお誘いください。気が向きませんと断ることはあるかもしれませんが懲りずにお誘いください。