文学フリマを眺める

今日は東京で文学フリマが催されていたようだ。

ここ数年で文章を書くひとたちをたくさんTwitterでフォローしたので、タイムラインでは全員が文フリに行っている、あるいは興味を持っているように見える。しかしきちんと数え上げて割合を計算すれば、フォロイーの二割くらいのものではないか。文章を書くひとは文章を書いて投稿するTwitterでは富によく喋るのだし。

そして会場で盛んに交流しているのがうかがえる。誰々さんに会えた、今会場にいます、これから行きます、誰々にご挨拶できて嬉しかった、打ち上げ等々。とても楽しそう。

同時に、知り合いだけどごめん正直、本を買うほどではないと思っている誰かと顔を合わせる微妙な気まずさや、顔やアカウント名を覚えていなくて慌てるときの冷や汗や、Twitterで互いにフォローしているけど一度も話したことないなというひとと交流しにいくべきなのだろうかと変な気を回す面倒くささなんかに思いを馳せ、タイムラインを眺めながらちょっと気分がねじくれてしまった。もっと社交的になりたいよ。あるいはもっと黙りこくって誰の目も気にしない人間になりたい。

また出展したい(八〜十年前あたりに何回か出展した)気持ちはある。すでに知り合いを作ってしまった今、買うだけの人としてはあんまり行きたくない。知り合いのは全部買いますっていう財力、欲しい本はこれと決まっている強めの意志、興味のない人には興味ない顔をふつうにできる胆力があれば買うだけでも行ける。今のわたしには無理そう。出展なら一人で行けばずっとブースに座っていられるし、向こうから来てくれた人とだけ社交すればいいので幾分気楽だ。

書いてて自分でも思うが、細けえことばかり気にして本質を見ないやつだよ、わたしは。文がどうか本がどうかということより、圧倒的に社交のほうに意識が行っているもんな。ほんとうは社交が好きなのか?