個人鑑賞・瞬間忘却・反省会

テクニカルイラストレーションの鑑賞のため、身近な説明書などから絵を切り抜いて開陳していると、必然的に他人からわたしの生活が透けて見える事になる。今日もこの説明書のイラストは大変個性的でよいなあと思ったが、これを買っていると誰にも知られたくないという気がしたので、自分だけで鑑賞する。いいですね、この簡素化された曲線が。

あと50年もすれば恥ずかしいとは思わなくなりそうだし、歴史的資料価値が上がっているかもしれないので、そのときに公開いたしましょう。

 

これは最近……とここまで書いて、ちょっと前に戻って文を直していたら、なにを書こうとしたかまんまと忘れてしまった。あれを取りに行こうと家の階段を降りた途端になにを取りにいったのか忘れてしまうのと同じ現象であるが、文章でなったのは初めてだ。ショック。

 

他人との会合は一人反省会をもたらす。そういう人は多いと思う。よく聞く話だ。

わたしも起き抜けから昨日の会合の反省会をしてしまった。

LINEでは会合のグループで、昨日はありがとう!の声が飛び交っているので、わたしもオウムのごとくその台詞を返し、よしよしボロは出していないぞなどと安心しているが、たぶんしまいきれていないシャツが腰からはみ出ている人みたいなもので、わたしの後ろ姿を見送りながら、おやおや、とか思っている人がいるはずである。

いや、そういうところも自意識過剰だ。実際はおまえのシャツがはみ出ていることなど誰も気づいていない。気づくのは完全なる第三者で、不意に「シャツどうした、しまったほうがいいよ」と注意をしてくれる。さっきまで談笑していたはずの知り合いはもういなくなっていて、わたしはひとりで赤面する。

もっと反省するがいい。

そういえばLINEグループの中には会合のお知らせを受け取りながら、出席するともしないとも言わず(あるいは出席すると言い)、まったく顔を見せなかった人が数人いるのだが、わたしはその人たちを羨ましくすら思っている。

たぶん彼らは(1)会合自体を忘れていた(2)忙しすぎて返事もできず参加もできなかった(3)祝日だったので日中は他の予定があり、夜の会合なら参加できるかなーというつもりでいたが間に合わなかったとかであえなく断念(4)最近とんでもない緊急事態への対応に追われていてLINEやメールすら見れていない、のどれかであり、お前たちと話したいことはないので無視、のような邪な理由で出席しなかったのではない。

彼らはこの集まりでの自分の立ち位置をよくわかっている。このように欠席しても、誰も彼らを悪くは思わない。なぜなら、今までの付き合いで十分に人格への信頼を築いているからだ。

わたしなどは無言で欠席したら変に思われちゃうとか次のお誘いはないかもとか、腐臭ただよう媚びを捨てきれないのだが、彼らはここで万一信頼を失っても(他に居場所はいくらでもあるので)まあしょうがないくらいのものだし、実際のところ、誰も自分への信頼を損ねないだろうと踏んでいる。そのとおりである。

だからこそ上で括弧内に書いたように、他に居場所がたくさんある人間なのだ。わたしは居場所のようなものができると稀有なことゆえかじりついてしまう。彼らの鷹揚さが羨ましい。