別々の場所・人生の距離

zoomでの会合に久しぶりに参加したのだが、このPCのカメラだと画角のせいで天井の照明が眩しい。

ところでこれは会合に参加しながら書いている。海の近くに越したという同級生が海辺はいいと話している。zoomをやりながらPCで文章を書いていても特にバレないようだ。いや、バレているのかもしれないが、誰もなにも言わない。九人もいるから同時に全員がなにをしているかよく見るのは難しいし、皆がそれぞれの場所でちょっと違うことをしているのもおもしろい。犬や子供を抱きかかえたり、お茶をついだりしている。文章を書いている人がいてもよかろう。

しかし喋りながら書くのは無理そう。話を聞きながら書けても、自分で喋りながら書くとなると出力がふたつなわけだから、さすがに厳しい。

そして書けると言っても、今ここのことしか書けない。日中のことを思い出して書こうとすると途端に耳か手が疎かになる。

 

それにしても久しぶりに会う同級生の話は刺激的だな。

仕事ややっていることが、同級生だった頃からどんどん離れていくので、話が半分くらいしかわからないこともある。わたしでは考えたことがないことを考えている人もいるし、おそろしく環境が変わっている人もいる。

こういう会合で申し訳ないのが、話すことがなにもないということである。人生経験が少なく、ほとんどニートのようにここ10年の働き盛りと言える年齢を過ごしてしまったので、他人の話にいい質問もできないし、自分からおもしろい話を披露するのも難しい。

働き盛りに加え家族が増えるような年齢でもあるので、生活が壮絶な人もおり、選ばれないとぼやいたり、暇をスマホの無のゲームで潰しているようなわたしの毎日の時間をすこしは分けてあげたほうがよいのではないかとすら思う。片方ではどうしてそんなに仕事に取り巻かれてしまうのかというほどの人がいて、ここには生産という言葉から幸か不幸か見放されたような人がいる。これでも同級生だったのである。同じところで同じ課題をこなしていた一時期があった。こわいこわい。

つらいつらい。