挟む・アウトオブアフリカ・今なら

クローゼットの中折れ式扉の折れ部分に指の腹を挟まれ、たいへん痛かった。なんとも文字にしようのない悲鳴が出たくらいだ。

しばらくすると赤くスジ状に内出血している部分と、さらに奥に青あざのようになっている部分ができた。指の腹に青あざとは、初めての経験だ。左右で指を比べてみても、挟まれた指の腹は熱を持って腫れているし、キーボードを打つとほんのり痛い。指先にだけ湿布を貼るとよいだろうか。

 

「詳説 世界史研究」を読み始めた。高校生向け教科書に準じた参考書である。

通史を知りたいな、そして面白そうなところがあったら掘ってみたいなと思っている。歴史歴史となにげなく言っていたが、「歴史」とは文字が生まれ記録されて以降のことをいうのであって、それ以前の原人たちの生きてきた道は比べられないほど長いにもかかわらず「先史」と呼び、歴史の教科書ではほんの数ページにまとめられているのだと改めて認識した。

人類が「アウト・オブ・アフリカ」つまりアフリカから世界へ広がっていったことはなんとなく知っていたが、アウトオブアフリカしたのは二回であり、一回目にした人たちは衰退してしまい、私たちは二回目のアウトオブアフリカ人の子孫であるという説が今は有力だと、それも初めて知った。

川端裕人 著「我々はなぜ我々だけなのか」というずっと積んでいる本があるが、これは今読みどきなのではないか。第一回アウトオブアフリカで北京原人などになった人たちがどうして衰退し、第二回アウトオブアフリカのわたしたち先祖がなぜ繁栄できたのか、その一つの仮説か答えが書いてありそうな気がする。

まだ最初の2、3ページである。この調子では近現代史にたどり着く前に自分の生涯が終わってしまう。他の本はとりあえずリストアップだけしておいて、一旦は詳説 世界史研究を読み終えるのを目標にしよう。

 

製本の道具を整理していたら、五年くらい前、プライベートプレスをやっていて最後に作った作品の材料が出てきた。

豆本をブローチに仕立てたもので、それの表紙部分だけがたくさん残されていた。いま、並べて見ているとけっこうかわいい。あんまり売れなかったし、身内や友達からの反応もいまいちで、なにより自分がこれをつくる一連の作業を好きでなかった。

自信がないところに黙殺にも近い評価をつけられた感じがして、もうやっていくお金もなかったし、フェードアウトするように放り投げてしまったのだった。

作るのが楽しくて、出来上がったものが好きで、ひとつ売れたら嬉しくて、それくらいのモチベーションでできていたらもっと続いていただろう。しかしわたしはこれで生計を立てられるくらいにしなくては、売れっ子にならなくては、とだけ思って焦っており、発表の場所がせっかくあるのに精一杯やらず、結果はみごとそれなりのもので、なのにがっかりしてやる気を失って、経済的な計画を立てることも怠っていたのだから、当然の結末だった。

かわいいが苦い。でもやっぱりかわいいので、製本の手慣らしのために、この小さい本たちをとりあえず仕上げて、材料費と作業時間から割り出した自分の人件費をちゃんと乗せて、オンラインで売ってみようか。

今ならぜんぶ楽しめるかもしれない。