見えない鳥・おみくじ・馬の話

近所の神社へ初詣に行く。途中で川のそばを通ると、河原にカメラを持った人が何人もいる。三脚を立てたり、長い望遠レンズだったりして、おそらく鳥を狙っているのだろう。そんなに珍しい鳥がいるような場所でもない気がしたが、珍しい鳥を撮影したいだろうと思うのは素人考えかもしれない。望遠レンズが差し向けられている方向を、こちらは裸眼で目を凝らしてみるが、なにがいるのかさっぱりわからなかった。

この神社には実は初めて来た。大きい神社でも周辺が観光地でもないが、車で来る人がいたり、お参りに列ができていたりと、人気のある神社のようだった。おみくじをひく。夫婦揃って末吉が出た。わたしの末吉を要約すれば「なかなか芽が出ませんが、辛抱して励みなさい」であった。しかし数年前に大吉が出たときの一年が最高だったか、さらに凶が出たときにそんなに悪いことがあったかと思い返してみると、そんなことはない。わたしは巷にある占いでも当たってる!と思ったことがほとんどなく、抽象的な話を自分の身に引き寄せて考えるのが苦手なのかもしれないと思う。

 

夜に馬刺しを食べた。部位が4種類あったのだが、どれがどの部位なのか書いていなくて、訳もわからずここは赤身、こっちはサシの入ったとこ、みたいな感じで適当に食べ、しかしどこもおいしかった。

たくさん食べすぎたのか、途中から顔が熱くなり、舌も滑らかになり、自分と馬とのエピソードをいろいろと喋りまくった。べつにお酒は入っていないのだけど、珍しい肉に酔ったのかもしれない。

わたしと馬とのエピソードというのは、実家が馬事公苑というJRAの公苑に近く、よく遊びに行って馬を見たこととか、大学で馬術部に入ろうかなぁと思って体験入部したら、最初から馬を走らせられたせいで尻が跳ねてあまりに痛く、さらに馬の世話は朝が早いのでやってられんと思ってやめたこととか、オーストラリアを観光したとき、馬に乗ってオーストラリアの大地を走るツアーに参加したところ、馬にナメられて薮に突っ込まれ、めちゃくちゃ噛んでくる蟻にたかられてたいへんな目にあったこととか、一度だけ府中競馬場に競馬を見に行ったら、金をかけているだけあって観客はみな本気であり、勝負がつくと怒声が怖いくらいだったこと、遠くを走っている馬は首から上しか見えず、頭はまったく上下させずに走るのでスーッと水平に滑っているようにしか見えなかったのが印象的だったこととかである。しゃべっているうちに馬とのエピソードがこうして次々と出てきて、饒舌に昔話を披露してしまった。しかもこういう話を、全部一気にではないが、夫と今までつきあっている中で一度はしたことがある。昔話を何度も繰り返すにはまだ早い年齢だというのにわたしときたら……。なのに、夫は前も聞いたよとは言わず、そうかいそうかいと相槌を打ってくれた。ありがたいことだ。