欲深・罵倒のはかどり

自分の制作の記録をしたくてブログを開設し、文ももうずいぶん書けなくなっていたのでリハビリになったらいいなと思いながら、いま目の前に見える庭について描写するところからこの日記を始めた。日記と呼んでいるけれど、心構えは「日報」のつもりだ。毎日の出来事や思考を偽りなく報告する、そういう文。

しかし昨日は「おもしろい日記」の方向に筆が乗ってしまったので、脳内で欲深!欲深!となじる声がする。

なにか作り、作ったものについて記録・説明し、次の作業を計画して、ここに報告する。これが理想。これが理想です。

しかし今日はうってかわって書けない。ここまでで1時間はかかっている! 公開している日記なんだという緊張感から、サービス精神が発動し、もうわたしの毎日のぼやきには飽きただろうなあ、なんて考えるが、そもそも毎日読んでいたとしても読み手はそこまで過去の日記を覚えていないだろう。気をしっかり保て、わたしよ。同じことを考えているなら同じことを書け。コピペしない限り、同じと思っていることでも横に並べて比べてみれば、違いが必ずある。そうやって人間は変化していく/しまうのだから。

 

今日はスマホから離れられず一日が終わった。

スマホのパズルゲームとTwitterのTLを行ったり来たりして、時々パンをつまみ、コーヒーを飲んだ。ほんとうは今日やりたいことがある。洗濯洗剤を買いに行って、溜まった洗濯物を片付けること。そいつが恨めしそうに肩にのしかかっているのを感じながら、わたしはスマホの画面で同じ絵のタイルを見つけ、集めて消す。ゲームオーバー。たぶんたいした思考力も必要としないゲームなのだけど、わたしはなんの戦略もなくタップしているので、次々とゲームオーバーをくらう。

シャワーを浴びようとして、パジャマの前のボタンを半分くらい外しながらTwitterに移動する。そのまま脱衣所の椅子に腰をおろし、TLを眺める。寒くなってきたのでボタンをかけ直して、カーディガンを羽織る。脱衣所から出て、ソファーに座り、また画面をスクロールする。

スマホ用のタイムロックコンテナ(設定した時間まで蓋が開かなくなる箱。控えたいものを入れておける)を数ヶ月前に買ったが、数時間閉じこめたあと、それを取り戻すように閉じ込めた時間以上にスマホを触ってしまうので、あんまり意味がないのではという気がしてきた。もういっそ他人にスマホを預け、どうしても使うときに出してもらってその人の目の前で使い、目的が終わったらまたわたしの目の届かないところへしまうとかしないとだめかもしれない。こどもみたいで屈辱を感じる……と思ったが、自分の意思でそうするなら悪いことではないなと思い直した。しかし他人といってもこれは確実に夫しかやってくれる人はおらず、夫だって最近は出勤が増えてしまったので常にスマホを持っていてもらうわけにもいかない。今日だって、夫は一人で出かけており、わたし一人が家にいてこの体たらくだったのだ。

依存症体質なのに暇を与えるからこうなるんだぞ。

無生産な人間はつるせ!

など、今日も自分への罵倒がはかどる。はかどってんのはこれくらいだ。

 

18時ごろシャワーを浴び、洗濯洗剤を買いにいき、洗濯機を二回まわして干した。

18時からの行動としてはよく働いているではないか。日記も書いたし。