サンタクロースになる・フィクションで泣く

昨晩のうちに、夫が寝ているのを確認して、枕元にプレゼントを置いてみた。こういうことをするのは初めてで、いままで幾度とプレゼントの交換はしてきたが、朝起きたばかりの人がプレゼントだ!と喜ぶのを見れるのはなかなかいいものなんだなあと思った。これが大人相手ではなく自分の子どもだったら、確かにさらに嬉しいのかもしれない。

なにをあげたのかというと、ちいかわのぬいぐるみ、Tシャツ、ヘアバンドである。ちいかわに大ハマりしている夫がぬいぐるみ買おうかなあ、と悩んでいたのでちょうどよくクリスマスじゃんと思ってそれにした。夫は万年坊主頭なので、ヘアバンドであげておく髪もないのだが、筋トレのときに汗止めとしてヘッドバンドをつけるそうで、代わりにハチワレになれるヘアバンドをつけておいたらかわいかろうと思った。しかしちょっとギャップがすごすぎる。わたしがもしトレーニングルームであれをつけている夫を他人として見かけたら、こっそり二度見ののち、なるべくそちらを見ないようにするだろう。夫としてもさすがにこれをつけてベンチプレスで高負荷をかけるのは恥ずかしい気がする、と思ったらしく、夜寝るときのアイマスクがわりにするわ、とのこと。

 

わたしも夫が買ったちいかわのコミックスを借り、最初のほうは全然知らなかったので新鮮な気持ちで読んだ。今月はPMSが泣き上戸方面に発達しているらしく、読みながら嗚咽を漏らすほどの勢いで何度か泣いてしまった。わたしはふだん、フィクションではまったくと言っていいほど泣かない。なのにこの込み上げる切なさはなんなんだ。草むしり検定のくだりでは、ちいかわのような行動は誰にでもできることじゃない、自分より後から始めた人があっさり自分を抜いていったのに、腐らないばかりかお祝いして、その人に教えすら乞う、こんなにちいさいのに人間(?)ができている、すばらしすぎるうぉぉいうぉぉいと涙を流した。わたしはどんなに感動的な(と言われている)ストーリーに触れても、ほろりくらいの涙で終わるのが常なのに、自分でも自分がよくわからない。涙を拭い、鼻をかみ、1巻のカバーを外してみたら、表1と表4を使ってちいかわとハチワレが「また遊ぼうねえ」と読者のわたしに向かって手を振り、別れを惜しんでくれているではないか。わたしは再び、おうおうと泣いた。今もこれを書きながら僅かに涙ぐんでいる。