継続・ケーキをめぐる一日

先週、熱海へ行ったのですこし長めの日記を書き始めたら、思いのほか進まず、公開できないまま一週間経った。そのあいだにも日常はたまってゆき、しかし熱海のほうを書いては直ししているうちに夜になって寝てしまうので、なにも残っていない。熱海の紀行文は焦らず書くことにして、事もない日を変わらず書いていきたい。

実は以上の冒頭を書いたのは週の初めであり、この日記は書ききれないまま、またあした…と放置することを五日間くらい繰り返したことになる。しかも熱海の紀行文もなんだかどうでもよくなってきてしまった。後から読み返すにつけ、つまらねえことを書いているなと思ってしまうので、出すなら細かく書かずにさっさと出してしまったほうがよかった。

毎日欠かさず書く作家とか、日付の入った作品を毎日仕上げ、数年分をまとめてひとつの作品として発表するアーティストとか、わりとよく目にするが、わたしには途方もないことだ。やっている本人だって、他に仕事があったり、なにかで疲れ果てたりというなか、努力して作る時間を設けているとわかるが、自分も工夫すればできるんじゃないかと考えてみても、かならずどこかで中断に襲われる。想像しなくても、いままでの人生でもれなくそうだった。毎日やるのがあたりまえと思われている歯磨きすら、しなかった幾日がある。少なめに見積もって。

唯一、食事は欠かさず毎日したのではないかと思う。たいした大病もないがどんな病気にかかってもなにかしら食べたし、気がかりで食事が喉を通らないというような繊細さもなく、なにを口にする時間もなかったなどという忙しさに見舞われたこともない。しかし特別に食べることにこだわりがあるというわけでもない。もっと若いころは人より大量に食べられる時期もあったが、味にうるさいわけではなく、インスタント食品から高級フレンチまでだいたいのものは美味しく食べる。安上がりかつ得な舌だ。

ただ、飯を食うというのは生命維持活動であって、毎日していたから人間として偉いというわけでもない(そういうことから褒めていく精神安定のためのライフハックがあるのは認めるが)。心臓が欠かさず拍動していたのと同じタイプの奇跡とは言える。

 

今日はいろいろとうまくいかなかった。

PMSがきているので調子が悪いのはいつものことだが、判断ミスや「世界から拒絶されている感」にみまわれ、さんざんであった。

なんとなく機嫌が悪いというところへ、トイレに入って便器の蓋をあげたらなんの弾みか戻ってきて、既に腰かけようとしていた尻へ当たって、トイレがわたしを座らせたくないと思っている…となにもかもが敵!モードへ情緒が向いた。気を失いそうに眠かったので二度寝したら、起きると既に十二時過ぎ。今日は予約していたクリスマスケーキをケーキ屋に取りに行かねばならない。しかしお腹も空いていた。のんびりインスタントラーメンを作って食べていたら、遅刻しそうな時間になってしまって、慌ててバス停へ行くが、年末で道が混んでいるのかいつもはたいして遅れないバスが一向にこない。もう完全に遅刻だ。別に遅刻したからってケーキがなくなるわけではなかろうが、この小さく失敗している感じがここから先も積み重なる予感がした。待ちきれず、行き先が違うバスに乗って終点から電車に乗り換え、ケーキ屋に向かう。十五分ほど遅れ、受付で「遅れてごめんなさい」と謝るが、忙しいケーキ屋としてはそんなことはどうでもよく、ハイハイこれがあなたのケーキですよどうもありがとうございましたーと流される。帰りはバスだけで家まで戻ろうとバス停に行くが、やはりバスは滞っているようで、いつもならあり得ないくらいに列が長い。ようやく来たバスに乗るが、隣の人と密着して立っている。ケーキが傾く。家に帰っておそるおそる箱を開けると、さもありなん、寄ってしまっていて箱の壁面にケーキの側面がくっついている。今日の夜は夫も遅く一緒に夕飯を食べられないが、明日の夜は丸鶏でも焼くか、もしかしたら売れ残って安くなっているかもと改めてスーパーへ行く。最寄りのスーパーは丸鶏は仕入れていないようだった。骨つきのもも肉と鶏ガラだけがあり、なんとか合体してくれませんかねえと見つめ、しないとわかったので半額になった真ダラを買ってきて、一人鍋をした。毎年わりと凝ったケーキをクリスマスに予約することが多いが、今年はシンプルなホールのショートケーキにした。去年も同じ店で買ったのだが、クリスマス用の飾りとして斧をふりかぶる小人が今年も使われており、いちごを割らんとしていた。ケーキはとても美味しかったので、すべてよかったということにしたい。