コーヒーテーブルとラジオ体操

去年のうちには終わらなかった、コーヒーテーブルのやすりがけとオイルワックス塗りの続きをやった。とうとうしんどいやすりがけは終わり、一度目の塗りまで完了して、終わりが見えてきた。しかし一年近くコーヒーテーブルなしで過ごし、なくてもなんとかなる生活が身についてしまった。むしろ、コーヒーテーブルを置くところで今はラジオ体操をしているから、戻ってきたらラジオ体操スペースが失われることになる。

ラジオ体操はいまのところ続けていられているので、ここで中断されるのは惜しい。最近ではラジオ体操の振り付け要素もコピーできるようになってきた。例えばラジオ体操第二で一番目から二番目の体操に入るとき、大きな羽で舞い降りたように指先を反らしつつゆっくり腕を下ろす仕草。体操と体操の間に振り付け要素は入れられており、お手本のみなさんもそこをおろそかにせず揃えているのだから、体操の一要素としてマスターするべきなのだ。

このようにラジオ体操を日々発見し、改良を加えていけるようになったのだから、コーヒーテーブルごときで習慣を台無しにしたくない。別の場所でやれば?と簡単に言うかもしれないが、ついたはずの習慣でも場所や時間、決まったやり方を少しでも変えてしまうと、一気に崩れ去ることがある。習慣は環境と不可分だ。

しかし、片面だけでもオイルワックスが塗られていい感じになっているコーヒーテーブルを見ていると、自分よくやったなあ、これを早く使いたい、という気分になってくる。ちいかわ風に言うと「心がふたつある〜」という状態だ。ちいかわに私淑する身としては、ちいかわならこんなときどうするかを考えるのがよい。

「心がふたつある〜」というセリフが出てくるのは、ハチワレとうさぎ(ふたりともちいかわの友達)がリサイクルショップで見つけた怪しい杖を振ったら、自分の欲しいものが出てくるのだけど、引き換えに体が大きくなったり赤くなったり目が増えたりして怪物になってしまう、そのとき杖を振らなかったちいかわだけが無事で、杖を折って助ける、というストーリーの中で、杖を折られそうになったハチワレとうさぎが「折ったほうがいいって思う、でも折らないでって気持ちもある」というときだった。ちいかわは欲に負けて化け物になったふたりを引き留めたわけだ。杖に関わらなければ自分の身には影響がなく、杖を奪おうとする怪物ふたりから逃げてもよかったのに、そうはしなかった。

さて、わたしは今、さんざんやりたくない面倒くさいでもコーヒーテーブルを買い替えるのはもったいないと逡巡した挙句になんとかやすりがけと塗り替えを終え、きれいなコーヒーテーブルという欲しかったものを手に入れつつある。いっぽうで、コーヒーテーブルが作業場に移動しているあいだに偶然できた空間でラジオ体操を始め、それがうまいこと続いている。なにかをどかしたり微妙なポジション取りをしたりせずに体を動かせるスペースというのは、家の中では貴重なので、これを失いたくない。

「心がふたつある〜」ストーリーに重ね合わせれば、魔法の杖で手に入れたものは偶然スペースができて習慣づいたラジオ体操のほうだろう。わたしはラジオ体操の習慣を捨て、コーヒーテーブルを置く。ハチワレは魔法の杖で出たカメラをその場では失ったが、あとで自分で稼いで手に入れることができた。わたしもラジオ体操の習慣を取り戻す試行錯誤をしよう。