いろいろなそめ

一月一日はなんだかんだ言って気合が入ってしまう。

天文、ひいては宇宙と関係しているとはいえ、ただ人間が作った区切りであり、我が家の猫やトカゲは昨日と今日の違いなど意に介していないが、わたしは人間なので人間の作った区切りに右往左往する。そういうものへ反発する気持ちは五年くらい前に消えた。今では毎年、一月一日に気合を入れて一年の目標を掲げ、数ヶ月、あるいは数日で堂々と挫折し、人間というやつは…と自嘲している。

 

気合を入れて、読み初めとなる本を選んだ。

小説である。主人公がやりたかったことを中断してしまって自分の部屋に引きこもったが、イマジナリーフレンドと会話しながら偶然に導かれ外部と関わっていくという、ちょっと今のわたしと重ね合わせやすすぎる話で、これは当ててしまったなという気がした。フィクションに自分を仮託するのはあまり好きでなく、いや好きでないというよりそういうことをすると必ず絶望するから避けているのだ。それなのに早々に、自分と似ていると直感してしまう人物が出てくる小説を引き当てるとは。

この作者の作風からすると、きっとこの主人公はこれから順調に外へ出て行って、地味ではあってもいいように収まるだろうという予感がする。ところがわたしのほうはそう順調にはいくまい。現実におけるだいたいの渦中は、はじまりがわからないうちに巻き込まれて、終わりがわからないうちにどこか遠くに行っていると気づくもので、フィクションのように(ひとまずの)おしまい、の印が見えるようにはなっていない。

自分が溺れているときに、いい具合の助け舟を出されて救われている人物を見たら、たとえそれが実在人物でなくとも心穏やかにはいられないだろう。元旦からなかなかの突きつけられぶりだ。腹に力を入れて読む。

 

今日は火鉢初めもした。朝から一日中火鉢に火を入れていて、ときどき餅を焼いたり、するめを炙ったり、お湯を沸かしたりして、そばで猫を抱き、本を読んだ。スマホはほとんどタイムロックコンテナに閉じ込めて、違う部屋へ追放しておいた。あけおめLINEにはときどきかえしたが、あまり気を遣うやりとりも発生せず、よかった。こういう感じで毎日いられたらいい。他人の行動や発言をそのまま反映して、自分の行動を左右する愚を、今年はひとつでも少なくしていきたい。それが今年の抽象的な目標です。具体的な目標はまだない。