出不精の理屈・古代エジプトの流行

今日は空に雲がなかった。出不精さえもふらふら徘徊したくなるような天気だ。しかし外に出る用意と天秤にかけ、やっぱり出かけなかった。外へ出るのにどれくらいの身支度をするか、最適解をもうずっと見つけられていない。くるんくるんのパーマヘアにしてから、より難しい。パーマはスタイリング剤があってはじめてまとまる髪型であって、自然にドライヤー強なんかで乾かしてしまうと、妙な具合に髪が広がっているだけに見える。宅配を取りに出るのすら躊躇するひどい髪型だ。基本的に部屋着は家の敷地内までしか出られないだらしなさのやつしか持っていない。だからたとえ近所の散歩や買い物であっても、髪を整え、服を選び、顔に日焼け止めくらいは塗って、おい、眉毛が瞼にまで生えてきてるぞ……などと考えるともうそれだけで嫌になって、出不精は加速する。マスクをしているから鼻毛や髭については考えなくてすむのが唯一助かるところではあるが。

窓から空を眺め、かけ布団カバーと薄がけ布団を洗濯して干し、まあこれで快晴を堪能したことにしましょうとなった。

 

「詳説 世界史研究」では今、紀元前のエジプトのところを読んでいる。

古代のエジプトは大国だし、国としての政治や管理は立派だが、どうも周囲の国と比べて文明が最新という感じではない。文字の誕生もシュメール文明のほうが早いし、戦車もそれで攻められてからようやく知るくらい。

実際の時間スケールの長さと本での記述の短さにギャップがありすぎて、人の営みのような細かな実感はなかなか感じられない。周辺諸国ともそうとうもめてるのに、「ナントカ人が押し寄せて」とか「ナントカの戦いで敗れ」の数文字で書き切られてしまう。古代エジプトと一括りにするが、風俗や生活習慣、流行りなんかも約3000年の間には大きく変わっただろう。それとも、現在よりはそういうものもゆっくりで、お母さんの若いころの服ダセー! といった、流行りが数年単位でコロコロ変わっちゃうようなことはないのだろうか。

エジプトは王朝が約30あるそうだが、王が変わるごとに一王朝という話ではないようで、王朝の区切りはなにを見てつけているのか(もちろんこの区切りは現代人がやっていることだろうけども)もこの本を読んだだけではよくわからない。自民党政権時代、民主党政権時代、みたいな区切りなのだろうか。ざっくり分けても一王朝100年あるわけだから、日本で言えば幕府みたいなもんか。首都が変わったりもしているし。

それにしても世界史への造詣が浅すぎて、遅々として進まない。世界史年表や地歴高等地図なんかを参照しつつ、一行一行、戻ったり確認したりで読んでいる。

今、「現代文解釈の基礎」というけっこう昔に刊行された参考書の復刊も読んでいて、わたしの机は本のラインナップが完全に高校生だ。しかしこんなものを読んで毎日勉強しているなんて、高校生というのは賢いな。大人になって、高校生のときより文を読めるようになったつもりでいたが、錯覚かもしれない。