ピアスの安定・愛をやる

一年前、ピアスを初めて空けた。両耳たぶにひとつずつ、ありふれたファーストピアスだ。しかしずっと、ずっとというのは20年くらいは、空けたいな、でもだめだろうなと思っていた。

15歳のときに首の手術をした。斜頸といって生まれてまもなく、首の右側の筋肉が変なところでくっついていて突っぱり、自然にしていると首を傾けているように見える疾患が現れ、その筋肉の両端、骨に繋がっている腱を切って突っぱりを治すという手術だった。完全には治らず、今でもすこし傾いているのだけど、一見してわかるわけでもないので放っている(証明写真のときはまっすぐ写るのに苦労するが)。問題は手術の傷跡で、手術を終えて抜糸をしたとき、医者が「傷跡の残りやすい体質ですね。ケロイドになっている」と言ったのだ。確かに、友達が盲腸の手術をしたといって見せてくれた傷跡はもっと細くて白かったのに、わたしのはミミズ腫れの名のとおり、ミミズの切れ端が首にくっついているみたいな太さと赤さだった。首の傷跡は目立ちやすいから、しばらくはそれどうしたの? とよく聞かれ、首の傾きなんて治さなきゃよかったと思ったものだった。

さすがに手術から20年も経ったころには、傷跡もそれなりに周りの皮膚に溶け込んでいて、感じとしてはミミズを潰して伸ばして縁を馴染ませたみたいなふんわりとした盛り上がり、色はもう周りの肌と同じようなもので、注意深く見ないと手術跡だとはわからなくなっていた。しかし自分はケロイド体質なんだ、と思いこんだのでピアスなんて空けたら穴の周りがボコボコに膨らみ、おしゃれどころじゃなくなると思って、諦めていたのだった。

ところがどっこい、同じように傷跡が怖いという理由であきらめていた医療レーザー脱毛を相談だけでもしてみるかと皮膚科におもむいたところ、皮膚科医は「こんなに傷跡が見えなくなっているようならケロイド体質ではないですね。問題ありません。容赦なく毛を焼くぞ」と言い、23年ぶりに、わたしは蒙を啓かれたのである。今でこそピアスよりイヤーカフが流行り、穴を空けていなくてもおしゃれな耳飾りが楽しめるが、わたしがティーンエイジャーから20代前半だったころ(90年代後半から00年代初頭)はイヤリングはダサいしデザインも選べないという状態だったため、空けたくて空けたくてたまらなかったというのに、自分の認識違いのせいであきらめていたのかと思うと、なんでぇなんでぇという江戸っ子気分だ。よく考えれば首の手術をしたのは形成外科医であり、皮膚の症状に通じていたわけではなかったのかもしれない。「ケロイド」とさえ言わないでいてくれたら、ずっと悩むこともなかったのになあと思う。

そういうわけで、38歳になってようやく、ピアスを空けた。

悲しいことに、年齢のせいなのか穴の治りが遅く、安定するまでに一年を要した。ファーストピアスは一ヶ月、セカンドピアスも一ヶ月で遅くても三ヶ月あれば安定するというのが一般的なようだが、きっと初めてピアスを開ける人はだいたい成長期あたりなのだろう。わたしは半年経ってもまだだめで、美容院や歯科医院で外すとき耳たぶから流血したりして、けっこう慌てた。治りが遅いだけでももしかしたらケロイドになってしまうかもしれない、とヒヤヒヤもした。

一年辛抱して39歳になり、ようやく安定した。

めちゃめちゃおしゃれなやつを買おう!と意気込んだが、全然買えていない。素敵なのは思ったより高い。こんなちっこいのに……ちっこいからこそ高いのかも。なのでまだセカンドピアスをつけている。

 

Netflixで「映像研には手を出すな」を観ている。羨ましくて羨ましくて、涙ぐんだり無意味にうなったりしながら観ている。わたしにはアニメとか映画とか、たくさんの人で作るものへの憧れがある。完成品を見るや否や、次はこうしたい!とかここはもっとこう!とか浮かんできて、どんどん先に行こうとする制作者は眩しい。対立したり協力したりでひとつのものを作る高揚感。これが自分のやりたいことと言い切れるだけの行動と量!

これよりちょっと大人な感じだけど、「カメラを止めるな!」も同じ文脈でいいなーと思った。カメラの後ろから登場人物に向けて生首のハリボテを投げてさっと隠れる、腹を壊して泣いている人に容赦なくメイクを施す、最後の最後には借りれる手は全部借りてなんとかEndに持っていく、全部いい。大人になったらこれが仕事だった場合、終わったらハイかいさーんとあっさりしたものだろうと思うけど、瞬間では大勢が目的を一つにしていて、そのことだけしか考えていなかった。瞬間に目の前のことだけしか考えていない、それが愛では? エーリッヒ・フロム「愛するということ」にもそう書いてあった気がする。愛をやりたいよ。