むら・都合のわるい耳

オッケー、昨日も日記を書かなかったけど、もう気にしないことにした。以降、書かなかったと申告することもしない。だいたい書けない日はそんなに気分がよくないことはたしか。

わたしはもしかして人より気分のむらが激しいんだろうか。乱高下という感じでもないが、低空飛行でけっこう波がある。ジェットコースターで嫌いなタイプだ。ジェットコースターは基本的に嫌いだが。捻り回転や一回転はまあなんともないな。積極的に乗りたいジェットコースターはひとつたりとない。

喜びや感動、楽しい、おもしろいみたいな「高」のほうの気分で叫びたくなっちゃう規模のをずいぶん味わっていないようにも思う。泣き叫びたくなるような悲しい、つらい、もないか。ただ常にぼんやりと鬱屈していて、鬱屈が濃くなるときと薄まって世の中がわずかに明るく見えるときとが交互にくる。どちらもどれくらいの間隔や長さなのかわからないし、自分でコントロールすることもできない。

 

先日、わたしは落選した公募で、通った24作が公開されたけれど、それもそんなに興奮できず、とりあえずちょっと読みはじめてみたが、すぐに気が散って一作も読みとおせなかった。

リアルタイムで盛り上がって楽しくやりたい、仲間にいれてほしいと思っているけれど、一方で勝ち負けを決めるとか、何人も作者を並べ、読者から「推し」が明言されているその状態(そして推しは偏る。人気が露骨にわかる)とかで苦しくなってしまう。

けっきょく小説や書くことが好きなわけでもなく、他人の作品を読むのだって面倒くさくて、学ぶことも褒めることもできず、ただ自分が注目されるのを望んでいるだけでしょう。そうじゃない場所にはすぐ飽きてしまうんでしょう。とわたしが作り出したわたしのことが嫌いな誰かの集合体がわたしに囁く。誰なの、なんなのこの声は。黙ってほしい。

生理がすこし早くきそうなので、そのせいとも思える。しかし毎月あるのに、毎回、いつまでもこの気分が続くような絶望感があって、それがいちばんしんどい。特別ひどいのはほんの一日か二日だと言い聞かせても、渦中では耳が塞がっている。どうしてわたしを慰めてくれる声を聞かないのに、貶める声ばかり聞くのだろう。

常に開いているのが耳の穴のくせに、選り好みして聞くなんて我が耳ながら生意気だ。