境界線・時計・恐れ

親が家に来るというので、電話して予定をすりあわせたら、すごく気分が重くなった。

電話越しでも伝わる、母親のちょっと不機嫌そうな雰囲気。電話をとるやいなやそうで、なにに不機嫌になっているのかわたしには分からないのだ。たぶん彼女が父親と何日にするか相談しているときに、父親があまり体調よくないとかで乗り気じゃなくて、それに不満だったんじゃないかと予測するのだけど、わたしから「どうしたの、なんかあった?」って聞いてあげたり、機嫌をとってあげたりする義務はないのだ、と心に決めているので、普通を装って話し終えた。

それでも、身体がどんよりとして胸がつかえたような苦しい気持ちになる。

今日はこれから図書館に行くつもりで、帰りに好きな喫茶店に寄って本を読み、おいしいパンも買おうって楽しみにしていたのだけど、親のことでこういうふうに気分を左右されてしまうので、まだまだ境界線をきちんとひけていないなと思う。

 

図書館に行くまえに駅前の時計屋で、ずっと止まっていた腕時計の電池を換えてもらった。わたしの両親と同じくらいの歳の夫婦がやっている、古い店がまえの時計屋で、ショーウィンドウに並んでいる時計はもう売れそうもないが、時計修理や電池交換の腕はとてもよさそうな店だった。

腕時計は買った店に電池交換に持って行ったことが一度だけある。わざわざメーカーに送ると言われ、戻ってくるまで一週間もかかったので頼むのも億劫だなあと思っていたけれど、この店では5分もかからずあっさり交換してくれて、拍子抜けした。

この時計店の夫婦が仲がよさそうに二人で助け合って商売をしているという感じで、羨ましくなってしまったのだった。

さっき母親と電話していなければそんなことも思わなかったに違いないが、自分もこんな仲のよい両親を持てていたらよかったとつまらない考えを浮かべた。わたしの両親はいい親ではないが、彼ら同士も仲が悪く、今でもよく喧嘩をしている。数年前の正月など、大晦日に喧嘩して母が部屋に閉じこもったため、父は当日に来なくていいと電話をかけてきて、わたしは帰省をとりやめた。その後、父は腹いせに、せっかく買っておいたおせちを捨てたそうである。絶句。

しかしいいかげん親に期待するのはやめたい。彼らは彼らなりに生きている。わたしの知ったことか。

 

図書館で本を受け取り、喫茶店でコーヒーのみならずケーキまで奮発し、ずっと読みたかった本を読んでいたらゆっくり気分が戻っていった。

昔はそのまま数日は具合が悪くなって、自分の生活をめちゃくちゃにしてしまっていたが、ちょっと成長したのかもしれない。

家に帰るころには、両親が来る日までに用意しておきたいものや掃除しておきたいところをリストアップして、予定を立てるぞというやる気すら起きてきた。あまり家に人を招かないので、掃除が疎かになっているところは多く、来訪者をきっかけに丹念な掃除ができるのは幸いだ。

 

本当は今でも親を恐れている。

彼らがいなくなることを、病気などで苦しむことを、不機嫌になることを、不幸な気持ちで日々過ごすことを、それらを「わたしがなんとかしてあげなきゃ」と思う小さな自分がどこかにいる。彼らとの思い出が悪いことだけならば、もっと思い切りよく振りきれたかもしれないなどと残酷なことも思う。

もういいんだよ、とことあるごとに自分をなだめながらなんとか距離を保ってやってきた。十年前よりは恐怖も薄らいでいる、たぶん。

自分の半生、いや2/3生くらいは親との関係の試行錯誤に費やされるだろう。どうしてこれにこんなに時間をかけなくてはならないのかと絶望しつづけてきた。もっと自分のことだけに集中したいと。

両親が、わたしから精神的に遠い場所で幸せな余生を過ごしてくれることを望んでいる。この望みも捨てるべきだろうか。